Divine Wisdom
*ファティマノマ*
お気に入りスポット

アミターバ《量りしれない光を持つ者》の遺光

先月末、鎌倉を訪れて一泊二日楽しい時を過ごした。
その際は、理事を務める団体の主催イベントのスタッフとして参加していたので、
ひとり静かに味わおうとふたたびこの地を訪れた。

バスのタイミングを逃して、目的地まで徒歩で向かう。
当日は、「みんなでかまくら平和デー」というイベントが由比ガ浜の海浜公園で開かれていてそちらにも惹かれたのだけど、やっぱり山の方に行きたくなった。

先日のイベント中の企画「かまくらあるもの探し」でも鎌倉の御谷(おやつ)と、その先の山を訪れたが、以前から鎌倉は海側よりも山側が好きだ。傾斜を上り下りするという身体運動そのものも好きだし、高いところから町や海を見下ろすのも好きだからというポジティブな理由と、一方で海側に苦い思い出があるからでもある。

高校1年生の春の遠足で遠足委員となり(私の母校では、各クラスで相談して遠足のプランを決めることになっていて、その取りまとめをするのが遠足委員の役目)、遠足の場所が鎌倉に決まった後、委員の友人と二人で鎌倉に下見に行った。

「やっぱり稲村ケ崎は外せないよねー」と、軽い気持ちでその地に向かったのだが、近づくにつれて何故だか足取りが重くなってくる。そして現地に着くや、一気に悪寒がして頭痛と吐き気に見舞われ、首回りに冷たさと痛みを感じ、全身が寒気で強張り何もできなくなった。もう、その場に居られなくなって早々に立ち去り、なんとか八幡宮たどり着いて、急に体調が悪くなったと伝えて社務所で横にならせてもらい小一時間ほど休んでどうにか復活した。
(結局、下見は友人に任せっきりで私は何もできずじまいだった)

稲村ケ崎が合戦の地であったことや、父方が代々武家の家系なことや、そもそも霊的なものを感じやすい体質だったりすることが、色々相まってそんなことになったのかもしれないが、ともかくそれ以来、稲村ケ崎には近づいていない。

この日は山側へ向かうが山登りはなく平坦な道をひたすら歩く。
思ったよりも遠くて、重たい荷物を背負って&両肩にかけてはすこししんどくて、バスを待てばよかったと何度も思った。
だが、歩いて行ったおかげで、途中で源頼朝公のお墓に立ち寄りお参りすることが出来た。これは必要なプロセスだったと振り返ってみて思う。

階段を上ったその上ひっそりと建つ慎ましいお墓。

そこからさらに北上し、鎌倉宮を抜けたその先にある永福寺跡に到着。

鎌倉時代の初めに、頼朝さんが建てたお寺、永福寺(ようふくじ)。

源頼朝は文治5年(1189年)9月の奥州合戦を契機に、源義経・藤原泰衡をはじめとする数万の怨霊をしずめ、冥福を祈るための寺院の建立を発願。その年の12月には永福寺の建立に着手した。建築責任者は工藤行政、建立には畠山重忠ら関東の御家人の助力があった事が『吾妻鏡』に記載されている。建久3年(1192年)11月25日に本堂が完成し、落慶供養が行われた。
応永12年(1405年)の火災ののち廃絶した。
(Source: Wikipedia「永福寺跡」)

そう、今はお寺のカタチは残っていない。永福寺跡。
でも、残っているものがある。
それを感じるために、傍らにある切り株に腰を下ろし、しばし黙して坐る。
わんこの鳴き声や子供たちの声が聞こえる中、深い静寂へ。

ここにはDivine Stateのエネルギーがあると、とある方がおしゃっていたので、いつもそれに感じているような清らかな光が降り注ぐのを想像していたら、全く違う感触が感じられ、あれ?なんだこれは??ぼこぼこしている……といつもと違う感じにとまどいつつフォーカスを調整してみたら、それはなんと螺髪で、ぐっとアングルを引いてみたらそれは阿弥陀如来像だった!なんと!

あぁ、そうか、目の前にあるのは阿弥陀堂跡。動乱の時代、多くの人がこの寺を訪れ、世の平安を願い阿弥陀仏に手を合わせたのだろう。
神仏は求められるほどに力を増す。多くの民の帰依によって高められたアミターバ(無量光仏)の光が今もこうして人々に降り注いでいるのだ。

寺社のカタチをしていないが故に、今ではここは近所の方の憩いの場、わんこたちのお散歩コースになっている。おそらくそれが功を奏して、純粋な光が穢されることなく残っているのかもしれない。
そして人々もわんこたちも、知らずのうちにそれを受け取っている。

とりわけこのわんこは本当に穏やかに寛いでいた。私が瞑想から戻ってきて目を開けると、じーっとこちらを見ていた。
お隣のご主人も穏やかなおじさまで、わんこと同じように私を眺めて、しばらくしてご自身もスマホを置いて、目をつぶって休んでいらした。

なんだかとっても寛ぐ穏やかなスペースだ。

神は、ありてある物の中に浸透しているのです。
これがあなた方の知らねばならない真実の神であるのです。

『今、私は神の中に居り、神は私の中におわします。
 私は神の中に留まり、神は私の中に留まり給う。
  常に、私と神は一体である』
というのはその意味であるのです。

全一体です。
一つの生命に基づいて、
一つのエネルギーに基づいて、
一つの神に基づいて、生きているのです。

その事を、
あなた方が知るようになりましたならば、
本物の神と、
本物の知恵と、
本物の力と、
本物の愛が、
あなた自身に現れるようになるでありましょう。
– Toshihiko Chibana

 

カタチなきもの 目に見えないものこそが 真なるもの
カタチあるものに力を与えてしまうと 真実が見えなくなる

肉体にある師から直接の導きを受けることが、助けになる者と、足かせになる者がいる。そうした複数のケースを目の当たりにする機会が重なった。
それを知るにつれ、今生で私が肉体にある師に出会わないことの意味に気づかされる。
どちらにも寄ることなく、自身の力で立つことを、今生では促してくれている。それができると信頼してくれているようにも感じる。マスターたちの優しさと厳しさ。慈悲深さを感じずにはいられない。今このタイミングでこのことに気づけたことに感謝。

各々の経験や状態を身をもって示し、気付かせてくれた友人たちにも感謝。

おそらく、聖なる存在に帰依したり、肉体にある師に付いて直接導いてもらったりというのは、過去世で何度もやって来た。(ついでに道半ばで迷う者たちの手助けも)そうした段階を卒業して次のステップに進むのが今生で選んだ道。

それぞれのSpiritual Pathに敬意を表しつつ、他人のお世話はほどほどに、自身のDeepeningに注力いたします。