⛩令和三年一月三日 樋知大神社へ新年の参詣に🎍
お種池には、いくつもの伝説が残されていますが、「学道さまが水玉をさずかってできた」というのもその一つです。学道さまとはどんな人だったのでしょう。
高峰寺に残されている、江戸時代の『高鷲山聖権現之縁起』には、700年以上も昔、越後の国(新潟県)の国上寺から大岡村にやってきた僧侶だと書かれています。
それは、和歌山県から三重県にかけての修行がさかんだった場所、熊野を目指す旅の途中のことでした。善光寺へおまいりをし、姨捨の里で美しい月をながめた後、麻績村の矢倉に泊まった後、夢で熊野権現のおつげを聞くのです。学道さまはそのおつげにしたがって、北の山の聖山(ひじりやま)に登りました。聖山は筑北三山(冠着山、四阿屋山)での一番高い山。歩いても歩いても、岩や木が行く手を遮る急坂ばかり。特に膨大らを過ぎてからの崖を上るのは大変な苦労だったでしょうが、木こりをお共にしてなんとか辿り着きました。
聖山に登った学道さまが修行場所と決めたのは、大岡村の鍋久保(なべくぼ)。昭和47年の調査で、縄文時代の土器や、火を炊いた跡が見つかった場所です。
学道さまはたった一人で暮らし、全てのことを自分で行いました。そして、お経を読み、人々の暮らしを豊かにするため、いっしょうけんめいに祈り、山や里の村々を歩いて指導しました。学道さまが吐いていた鉄の下駄は、歯がすり減ってうすい板のようになっていたといいますから、たいへんな距離を歩いたのでしょう。国上寺からは数十人の弟子たちがやってきて、えちごにかえるようすすめましたが、学道さまは帰ろうとはしませんでした。大岡村の人々のために、豊かな水を恵んでほしいと願い、修行を続けたのです。
学道さまは、亡くなってから熊野より「聖山大威徳権現」として祀られました。また、学道さまの山登りを助け、大活躍した木こりは「まさかり権現」として祀られています。
「がくどうさまとおたねいけ」より
修験道の学道聖人に祈りによって守られてきた聖山とのご縁をいただき、
水源のある森に住まわせていただくという有り難いお導きに感謝。
学道さまの想いを受け継ぎ、大岡の水と自然を守る「瞑想と祈りの森」を
❝共同創造❞してまいります。
Co-Creation with NATURE.
Co-Creation with Every Creature.
Co-Creation with Brothers and Sisters.
自然との共同創造。
生きとし生けるすべてのものと。
想いを共にする友人たちと。
本年もよろしくお願い申し上げます。