Divine Wisdom
*ファティマノマ*
メタフィジカル

あるはなんであるの?

なんで?どうして?と子供が親を質問ぜめにする時期をなぜなぜ期(質問期)というそうだが、おそらくその時期の終わり頃に、誰にも答えてもらえなかった質問がある。

星空を眺めているとなんだか懐かしい感じがして、窓辺で夜空を眺めながら寝るのが好きな子供だったが、ある時(多分テレビか何かで)「宇宙は無限だ」というのを知り、「無限」は何かと聞くと「終わりがないこと」だという。じゃあ「無限」ってどんな感じなんだろうと無限をイメージすることをやってみた。

夜空に見える星々のその先は、どこまで行ってもずっと宇宙っていうことだから、「終わりがない」っていうのはつまり「ずっとある」っていうことだなぁと、ずっとずっとある宇宙をイメージしていると、ある疑問が生まれた。

あれ?ずっとあるの「ある」ってなんだろう?無限の宇宙があるっていうのは「ある」があるから無限なのであって、「ある」がなかったら何もないよなぁと。とすると、さらに疑問が。「ある」はいつからあるんだろう??と。

友達や先生に訊いてみたが相手にされず。母に質問してみると「う~ん。それは哲学だねぇ」と。答えにならない答えが返ってきた。(だが、この答えがきっかけで、中学の頃には倫理、高校での哲学の授業に夢中になる。それはそれで楽しかったのだが、この問いに答えてくれるのは哲学という学問ではないことにずいぶん後に気づくことになる)

どうやら、意地悪をして答えてくれないわけではなく、誰も❝「ある」が、どうして「ある」のか❞を知らないらしい。幼いわたしにはそれが不思議でならなかった。わたしも「ある」があるから存在しているわけで、ある時「ある」がなくなったら(そんなことが起こるのかどうか知らないが)わたしも消えてしまうわけで、「ある」はいつからあるのかは、自分自身の存在をも揺るがす根本的なことなのにもかかわらず、なんでそれを疑問にも思わず知らないままで生きていらるのか??なぜ??という疑問がさらに生まれてきた。

という、この「在る」への疑問に対して誰も答えてくれなかった経験が、ある意味大きな転機となり、大人は何でも知っていると思っていたがどうやらそうではないらしい。これは誰に聞いてもダメだ。自分で調べて探していくしかない。という自己探求への道が開かれるきっかけとなったのであった。(小学校低学年でのこと)

I Am that I Am

やがて、この「在るはいつから在るの?」という問いをもう一度大人に投げかける機会が、30年ほど後にやってくる。それは当時足しげく通っていたシュタイナーのアントロポゾフィー(人智学)の講座中でのことだったのだが、またまたそこでも納得する答えが得られず、この問いは再び保留となった。(つづく)