Divine Wisdom
*ファティマノマ*
ファティマの本棚

二度とふたたび古い私ではあり得ない『TAO永遠の大河2』

1週間ほど前、急に読みたくなって、中古を購入。
(Oshoの講話本のほとんどを湘南藤沢の瞑想ルームに置いているため、
東京の自宅には特にお気に入りの数冊しかないのだ)

数年前に再販された新装版ではなく、この素敵な装丁の初版本で読みたかった。
『存在の詩』と同様に、多くの人に衝撃を与え、多くの人の人生を狂わせた一冊。

やはりこの装丁と口絵の写真も、この本に力を与えている。

それにしてもなぜ今このタイミングで、この講話が無性に読みたくなったのか。
少しずつ読み進めていたが、今日やっとそれが腑に落ちた。

「888」
どうやら、先日目にしたこの数字の表すところと、
それにまつわる出来事についての理解を示してくれているようだ。

一番上等な人間は、〈道TAO〉について聞くと
不意にそれと同調しているのを感じる
それは彼にとっては知的な理解じゃない
彼のトータルな実存がひとつの新しい歌に打ち震える
彼が〈真実〉について聞くと
突如として何かが符合する
彼はもう同じ彼ではない
ただ聞いただけで
彼は完全に異質な人間になってしまう
彼がそれを理解するのに
知性を使わなければならないというようなことはない
そんなものは一足遅れの理解でしかないだろう
最高のタイプの人間は即座に
何の時間のギャップもなしに理解する
もし彼が〈真実〉を聞けば
ただまさにその真実を聞くということだけで
彼は理解してしまっている
それを理解するのに
知性を持ち込まなければならないというようなことはない
いいやそれでは延期してしまうことになるだろう
彼のトータルな実存がそれを理解する
ただ知的な部分だけではない
彼の魂だけではなく
彼のマインドだけではなく
彼の肉体さえも新しい道の震え方をする
新しいダンスが彼の実存に入り込んでいる
そして、もう彼は二度と同じ彼ではあり得ない

一度〈真実〉について聞いてしまったら
彼は二度とふたたび古い彼ではあり得ない
ひとつの新しい旅がはじまっている
もうどうすることもできない
彼は動いて行くしかない
彼は光について聞いてしまい
しかも、彼は闇の中を生きている
もうそれに達しない限り
彼にとっては休息などというものはあるまい
彼は深い不満を抱くだろう

ああ、そうだ。もう知らなかった頃の私には戻れない。
そしてそれは、ずっとずっと望んで探していたものだったはずだ。
そしてそれが「今年経験する、魂にとって最も重要な出来事(※)」であるに違いない。
(※すっかり忘れていたのだが、今年の初めにセルフアカシックヴューイングをして、それを観に行ったのだった)

それだけの知覚力を持った人間なら
ただ小鳥の歌を聞いただけで
危機を通り抜けるそよ風を聞いただけで
流れる水の音を聞いただけで目覚めることができる
それで十分だ
なぜならば、あらゆるところから
〈聖なるもの Divine〉は語りかけているのだから――
もし知覚力があれば
あなたが何を聞いても
あなたは〈聖なるもの〉を聞いたことになる

ほかに何ひとつ存在しはしない
あらゆる音は〈彼〉の音だ
あらゆるメッセージは〈彼〉のメッセージなのだ
どこもかしこも〈彼〉のサインがはいっている
一級品のマインドにとって
道というのは全然道なんかじゃない
彼は何の道もなくあっさりとその寺院にはいって行く
そこにいかなる橋の必要もありはしない

実は、冒頭に別の章からの引用をして、それにまつわるエピソードを書きかけていたのだが、どうもしっくりこなくて削除した。
それは過去のことだったからだ。もうすでにそこには私はいない。

川の流れゆくままに、888に導かれるままに。美しい音を聴きに、光の方へ。