幼い頃から、何故だかチベットに惹かれていた。
チベットがどんな国なのか、どこに在るのか分からないながら、何故だか理由もなく「チベット」が気になっていた。
大学生くらいになると、急に周囲でインドインド言い出す友人が増えはじめるのだが、インドには全く興味が湧かなかった。
(これはどうやら、インドはもう飽きた、ヒンドゥーの文化はもううんざり、というこれまでの経験からくる気持ちがあったからだと後々知ることになる)
それとは別に、物心ついた頃から感じている目の前に広がる世界に対しての、「違う、ここじゃない。私が知ってる世界はこんなんじゃない」というもどかしい感覚が拭えずにいた。
求める世界を探して、あちこち転々としながら、ずいぶんと遠回りをした後、「あ!ここだ!これが私の知っている世界だ!」と感じたのが、アトランティスについて書かれた本を読んだ時だった。
動物との完全なる助け合いの共生、自然界と調和した暮らし、鉱物のエネルギーを最大限に活用した高度なテクノロジー、それを的確に用いることのできる明晰性と超能力、そして叡智。
私にとっては、今生で展開される眼の前の世界よりも、本に書かれていたアトランティスの世界の方がよりリアルで体感を伴って味わうことのできる世界だった。
そこからまた年月をかけて、やっとチベット仏教に触れる機会が生まれ、その時にも、あ!これだ!これは知っている!と、奥深いところからのキオクが想い出されるような感覚があった。
私の中では、アトランティスとチベットへの「知っている」という感覚が、同じものだと感じていたのだが、やがてその共通点が「シャンバラ」にあるのだと気づいた。
「シャンバラ」とは何なのかの詳しい説明はここでは割愛するとして、ともかく魂の故郷であり、向かう道のゴールであるところ。私が還るところだと感じている。
そこに繋がれば、パワーと安心感が得られ、明晰な智慧を授けられ、歩むべき道へと導かれる。
この話をもっと時間をかけて掘り下げてみたいところだが、つづきは夢見の行に…